前回に引き続き、オリエント工業のショールームに、いち購入予定者として見学と称する潜入取材を試みた際の様子を綴っていく。テーマはあくまで、素材を取り扱う「匠」である。

 

製品の「ドール」からパートナーとしての「女性」へ

物腰のやわらかな担当者から出されたお茶を飲みながら聞いたのは、製品にまつわる様々な話であった。古来の戦場や南極での使用例などのダッチワイフの歴史、身体障害者の性生活の実態、伴侶をなくした男性の購入後の感涙、素材の開発秘話、安価な他社製品に見切りをつけてオリエント工業のドールを購入したユーザーの話(中国製の、品質の悪い樹脂素材で出来たドールの腕部分を同社に送ってきた実物を見せてもらったが、指先などはミギーのような「でろれ~ん」状態であった)などなど。
そして購入者からの数々のお礼の手紙のコピーも見せてもらった。それらは例外なく長文で、大半が小さな文字でびっしりと書き込まれていた。そこに書いてあったのは、苦情というよりも要望、パートナーとしての「彼女」との暮らしぶりの報告、ほとんどの手紙の最後に書かれている「ありがとうございました」の言葉であった。

ひとの姿をしてはいるが、これはあくまで「プラスチック樹脂のカタマリ」の話である。だが、製造者であるオリエント工業もユーザーも、そして筆者自身も、この時点で「カタマリ」ではなく「女性」扱い、いや「接している」ことに気が付いていた。
ドールのカスタマイズは、身長(少女~成人)、ヘッド部分(表情)、眼球の色と可動可否、ウィッグ(髪の長さ)、バストサイズ(小・中・大)、指先の関節の有無、果てはアンダーヘアの植毛の有無や、交換式のホールの形状にまで及ぶ。それらを自分の趣味まる出しで選択していくときの不思議な高揚感と幸福感。「ホールにもタイプがありますので、指を入れて感触を確かめてみてくださいね」との言葉にも、いやらしさでなく自然な行動をしていると思えることの不思議さ。果ては彼女たちへの化粧の手ほどきまで受けている自分自身に、もはや何の疑問も違和感すらも感じていなかった。

 

オリエント工業には、毎週のようにユーザーからの、前述のようなお礼や相談の手紙・メールが届くそうである。その要望を汲み上げ、会社のすぐ近くにあるという工場に意見を定期的にフィードバックして、彼女たちの改良や修理、いや「治療」を続けているのである。どこまでもユーザーに寄り添うその方針は、食品衛生法(!)の基準を満たした製造ラインにも具現化されている。(もちろん食品ではないのだが、「肌触れ合う」製品なのでとの話)

 

不気味の谷を遥かに超えて

筆者がショールームに一歩足を踏み入れたとき、明るい室内で精巧な「人形(ひとがた)が身じろぎもせず「居つづけている」ことに、正直なところ躊躇というか、当初は多少の不気味さを覚えた。

見出しの「不気味の谷」とは、1970年にロボット工学者の森政弘が提唱した概念である。
これは「人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した」ものである。
そして、ロボットが人間の外観や動作と見分けがつかなくなると、再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えたのである。
森氏は、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットは、見る者の感情的反応に差がでるだろうと予想した。そして感情的反応の差をグラフ化した際に現れる強い嫌悪感を表す「谷」の線形を「不気味の谷」と呼んだのである。

ラブドールのユーザーは彼女たちと至近距離で見つめ合うので、オリエント工業のドールは、目の位置を実際の女性の顔よりも少しだけ中央に寄せているとのこと。そしてシリコン素材の柔らかい肌も、質感のみでなく、抱きしめたときにちゃんと骨(組)の感触を感じるように設計されているのである。筆者も実際に抱きしめたときの感覚は、体温以外、人間そのものであった。
全製品、いや彼女たちに共通しているのは「人間を模すため」ではなく、すべてが「ユーザーに愛されるため」に作られているということである。筆者が嗜好まるだしのカスタマイズ(ちなみに総額59万8,000円)で見積書をもらう頃には、前述の「不気味の谷」をとっくに超えてしまっていた。「自分のつくった彼女」に恋してしまい、「撮影禁止なのは承知していますが、この子(原文ママ)の写真を一枚だけ撮らせてもらえませんか」と担当者にお願いしたくらいであった。(やっぱり撮影はダメだったが)

ここまでくると、「プラスチック樹脂のカタマリ」や単なる人形の域をとっくに超えている。生身の人間の身体がそうであるように、もはや芸術の域に達しているといってもいい。実際、担当者も「当ショールームには女性のお客様もたくさんいらっしゃいます。その方々の多くが、ドールのスタイルや顔に興味をお持ちになります。ドールのメイクをお手本にする方や、美大生でドールを芸術活動の参考にする方もいらっしゃいます」と話す。
2007年にはオリエント工業の起業30周年を記念して、銀座の画廊で製品や金型を公開する「人造乙女博覧会」を開催している。ふたたび担当者の談:

 

「来場者の大半が女性の方でした。そしてアンケートをみると、ドールたちを性的な面のみではなく「芸術」として捉えていらっしゃったようです。製品のラブドールはさまざまなポージングや直立も可能です。芸術面のほか、そういった機能面でも評価していただきました。国内外の著名な写真家さんやアーティストたちが、弊社のラブドールを題材にして作品を製作してくださったんです。そういったことも、女性から注目を集めている理由のひとつだと思います」

 

一般のユーザーも、性行為の相手としてではなく観賞用としてドールを購入し、なかには外出先に彼女たちを同伴して写真を撮影したり、その様子をSNSやブログに載せているケースもあるとのこと。「製品であるドールを大切にしてもらっていることがとても嬉しい」と話すその様子は、娘を嫁がせた父親のようであった。
オリエント工業の創り出す「プラスチック樹脂のカタマリ」である彼女たちは、ひとの喜怒哀楽それ以上のものを紡ぎ出し、そして受けとめているのである。素材を取り扱う「匠」は、製造者であるオリエント工業だけではなく、ユーザー、そしてその素材から成る彼女たち自身でもあるのかもしれない。

 

ラブドールの人生の終焉

最後に、彼女たちの逸話を話しておきたい。様々な理由で彼女たちと暮らせなくなった際には、オリエント工業に送り返すことで、「里帰り」として引き取り処分と人形供養を行ってくれる。
里帰りしてきたある彼女には手紙が添えられていた。そこには丁寧な文字で、購入したユーザーが、彼女との暮らしが如何に楽しかったか、どれだけ人生を充実させてくれたか、そしてやむを得ない事情で里帰りさせることがどれほど辛かったかが、感謝の言葉とともに綴られていた。着飾った彼女の全身はきれいに清められていて、その表情は工場出荷時の仕様とは異なり、どこか寂しそうな、でも幸せそうな顔をしていたとのことだ。
別の里帰りの例では、箱の中に乱暴に折り曲げて入れられていた彼女の身体は、あちこちが裂けて汚れ、全身の骨格はゆがみ、本当に死体にしか見えなかったとのこと。その表情は怒気を含んだ般若のようになっていたそうである。

もちろん、そのような表情の仕様は、製品には、無い。