エヴァを考察するオタクからオタクとは何かを考察するオタク
2021年3月8日、”ようやく” エヴァが公開された。
初日の興行収入は8億円、観客動員数は50万人を突破したと発表されたが、他でもなく筆者もその一人である。
社会現象を巻き起こしたアニメとして、一般の人にもその名が広く知られているアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」。その新劇場版シリーズ最終作である「シン・エヴァンリオン劇場版」は当初2020年6月に公開される予定だったが、新型コロナウイルスの影響により2021年1月23日に延期、さらに同1月7日に再発令された緊急事態宣言に伴い、再延期となっていた。
前作の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の公開から、はや9年の月日が流れている。ファンからすると、もはや延期は慣れっこなので、無事に庵野監督が生きている間に公開してもらえればそれだけで感無量である。
何度延期しても公開を待ち望むことができるエヴァの魅力は何かと問われれば、それは個性的なキャラクター達や、かっこいいシーン描写、豪華な音楽など、枚挙に暇がないが、特に人々を惹きつけてやまないのは、物語世界に大きく横たわる世界の謎そのものだろう。
エヴァの物語は視聴者に納得のいく十分な説明がないまま、数多くの難解な用語とともに進行していく。視聴者と同じく、全く何も知らされない立場に置かれた主人公とともに、正体不明の敵と戦うことになるというストーリーだ。まさに、主人公と観客が状況としてシンクロするよう、うまく設計されたコンテンツだった。視聴者はまるで自分ごとのようにこの物語世界の謎と対峙せざるを得なかった。また、この謎がどうやら旧約聖書をベースに考えられているなど、知的探求心をくすぐる設定となっていた。
公開当初から、自分事として興味を持った視聴者によって、ネット上を中心に物語世界の謎について活発に議論が行われた。最近でもYouTubeに考察動画が多数アップされており、最新作公開を目前にその勢いを増している。最初のアニメ放映から既に26年も経過しているにもかかわらず、いまだに熱が冷めやらない。このエネルギーこそ、エヴァが人々を惹きつける魅力を物語っている。
こうしたアニメなどの物語世界の設定や謎についてストーリーを追いながら今後の展開を考察する人々のことを、ニコニコ動画のコミュニティなどでは「考察班」と呼んでいる。物語を受動的に楽しむのではなく、物語にちりばめられた伏線から、時に製作者側の立場のメタ的な事情も考慮したうえで、世界設定やその後の展開を予想するという遊びを行っている人たちのことである。エヴァは「考察」というコンテンツの楽しみ方を一躍有名にした作品の一つだ。
このような「考察」は、昔のSFオタクに端を発するとの論が聞かれるが、現代ではもっぱらアニメオタクの立ち居振る舞いとして語られることが多いと感じる。しかし、物語内の関係性や未来を予想する仕草は、何もアニメオタクだけに特有なものではない。芸術やファッション、文芸などの人々が創造した創作物から、文脈や教養、そして感性を糧にして意図や主張を汲み取るコミュニケーションは、人々が古くから紡いできたアートの文脈そのものだ。その意味で、物語構造を想像して遊ぶ「考察」も、アートコミュニケーションの一種だと言えるのではないだろうか。
逆にいうと、様々な対象に対して物語構造を想像して遊ぶ「考察=アートコミュニケーション」を行う者こそがその対象に対するオタクと言えるだろう。鉄道にせよファッションにせよ、何かに熱中し、その分野の物語構造を骨の髄からしゃぶりつくす、そうしたプロフェッショナルがオタクなのだ。エヴァはこれからも、そうしたオタクの製造装置として語り継がれていくだろう。
関連資料:
2020 クールジャパンマーケット/オタク市場の徹底研究
https://www.yano.co.jp/market_reports/C62108100